僕がライミングについて考えてみました!

考えてみた
それでは早速。。
僕は、基本的にラップにライミング(韻)は必須だと思っています。ただ、母音をいかにたくさん合わせられるかというゲームは、ご存知の通りとっくに終わっています。

それでもライミングは"終わらない"
とは言っても、母音を合わせるというのは、ケーダブシャインの世紀の大発明らしいので、一応おさらいしておきます。
韻を踏むとは
何をいまさらという話ですが、日本語のラップは、母音を合わせて韻を踏むという土台の上に、成り立っています。その弊害も、もちろんありますが。
「YO!享受してる今の繁栄!!それでも大事な地下の関係!!」的なやつですね。
今の繁栄、地下の関係(どちらも母音が、I.A.O.A.N.E.I)になってます。
韻を踏むときは、原則イントネーションを揃える
これも殆どの方は、知ってるよ、やってるよという話だと思うのですが、発音のイントネーションは揃えます。
「はんえい(↑)」と語尾をあげたら、「かんけい(↑)」と語尾をあげます。「いま(↑)の(↓)はんえい」と関西弁風にフローしたら、「ちか(↑)の(↓)かんけい」と同じく関西弁風にフローするわけですね。
このイントネーションの付け方を、英語と同じにすれば、基本的に日本語ラップの形を崩さずに、洋楽風にラップできます。
韻を踏むことの弊害
韻を踏むメリットは、言うまでもなく「聴いていて気持ちが良い」ことです。一方で、僕が弊害だと思うのは、ダジャレ感が出ることはもちろん、あとは口調が固くなることです。
そして、最大の弊害は、韻によってリリックがあらぬ方向に進んでいってしまうことです。
ラップを始めた頃の感覚を思い出してみると、一文書いて、韻を考える。その韻をもとに、次の韻を考えて、また一文を書く、という風な書き方を意外と皆さんもしてた(してる)のではないかと思うのですが、これをすると、一文ごとに韻によって文の方向が、あっちこっちに進んでいくので、書きたいことをきちんと書けなくなります。
僕は、洋楽ラップのコテコテの和訳文を見たときに衝撃を受けたタイプの人間です。
天国までの道を金で買える夢を観たよこれはカニエ・ウェストのCan't Tell Me Nothingの1バース目の和訳です。
目が覚めて、そんな金はネックレス買うのに費やしてやった
ま、神様にこう伝えておいたよ「すぐ戻るから」って
無謀な人生を送らないってのは容易いことじゃあない
与えられし者ほど試されているのさ
逮捕されれば学びを悟るまで獄生活
常に監視下でのプレッシャーを感じるんだ
だから俺はどうするか?
自分がバカであるかのように見せかける
ジュエリー買って、ルイ・ヴィトン買って
そんな俺をおふくろでも見分けることが出来なかった
ドラマ、俺を訴えようとする人々
TVに出演、世界はきみと俺だけ、のように
俺は自分の思いをリリックに連ねるだけ
コスピーショウの一員じゃないし、
ヒルマン(大学)にも通ってないし
金が人を変えるというのが当たり前だと思うか
なら自分の「原点」を忘れちまうのも仕方ないと思うのか
僕は、この口調や、この雰囲気を日本語で出すことが、日本語のラップが持つ、嫌な"何故か分からないけれど、なんかダサい感じ"を打破するのに役立つと思った訳ですね。同時に"ダジャレ感"や"口調の固さ"も解決できます。
ですから、この雰囲気の文面を書くことが何よりも大事で、リズム感のために韻は必須ですが、韻に文章の方向性や語尾・口調を一々迷子にされている場合ではありませんでした。
引っ掛かりを強調するライミング
ということで、とにかく文面を自由にするために、韻を踏むハードルを下げる必要があります。
ここからは、当時は感覚でやっていたものを、振り返って文章にしたので、少しややこしいかもしれませんが、試してみて頂ければ、言っていることが分かると思います。
まず、僕は2文字、最悪1文字でも伸ばせばOKという妥協から始めました。しかし、これでは意外と文面は自由になりませんでした。試してみてもらえれば分かると思いますが、自由な文章を書いて、ラップしようと思うと、これでは全然自由不足です。
次に、僕は韻を踏んでいなくても、上記の「イントネーションを統一する」ことを多少むりやりにでもやることで、ライミングっぽくするようにしてみました。
結果から言うと、これがめちゃくちゃ良かったです。
まず、飛んでいる2文字でもライミングできることが分かりました。たとえば、「朝」と「楽だ」でも、「楽だ」のほうの、「く」を殆ど子音だけ発音したり、弱めに発音することで、つまり「あ・さ」と「ら・だ」を強調するイントネーションにすることで、ライミングできるようになりました。
更に言えば、「朝まで」と「楽だ」でも、「朝まで」の「あ」と「ま」、「楽だ」の「ら」と「だ」を強調して、残りを力を抜いてしまえばライミングできます。
この引っ掛かり部分を強調して、残りを力を抜くというライミング方法が、僕の中では画期的でした。
このように、何となく似ている部分がある単語なら、(もしくは1文字しか揃っていなくても、その前の数文字もイントネーションを統一することで)、ライミングによるグルーヴ感が出せることが分かりました。
また、イントネーションは音の高低が強めの多少無茶があるようなイントネーションの付け方をしたほうが、韻を踏んで無くてもライムできる(誤魔化せる)ことも、何となく分かりました。
そうすると、似ている部分さえ作れれば、そこを強調して引っ掛けるようなイントネーションでライミングすれば良いわけです。なので、むりやり似ている部分をつくることを始めてみました。
似ている部分(引っ掛かり)をつくる
例えば、「しらないよ」「キラーネームも」という二つのワードだと、到底ライミングできそうにないですが、最後の一文字の「よ」と「も」が揃っているので、前のほうに、もう一か所でも引っ掛けることができるところがあれば、イントネーションを揃えてライミングできます。
この場合だと、「しらないよ」の「な」と、「キラーネームも」の「ネ」の部分が揃えば、リズム的にもライミングしやすいです。
これをむりやり揃えるわけですね。「あ」と「え」の中間の母音は、口の形をアにして、エと発音すれば簡単に出せます。なので、「な」と「ネ」を両方、口の形をアにしてエと発音する母音にそろえれば、「しらないよ」の「な・よ」と、「キラーネームも」の「ネ・も」を強調して、残りの「しら・い」と「キラー・ーム」という部分を弱くしてしまえば、ライミングの完成です。
というのを
リリックを書くときは、わりと感覚で、引っ掛けられるところを見つけてやっています。
去年の夏頃から、こういう形を模索しはじめてました。最初にある程度形になったなと思ったのは「Around my way」のときです。元々は、それでもライミングを考えながらリリックを書き進めていたことが多かったですが、最近は、だいぶこれに慣れてきたので、最初にザーっと好きに文章を書いちゃって、それを、ちょっといじりながらラップのリリックにすることが出来るようになってきました。
最近はライミングが一段落したので、今のリリック、ライミングを保ったまま、フローを聴きとりやすくするのが課題ですね。
和訳文のようなリリックを自由に書く必要がなければ、もともと必要ないライミング手法なので、どれだけ需要があるか分かりませんが(笑)。